今月(4月)の聖書の言葉


 以下に挙げましたイザヤ書の聖句の冒頭に、荒れ野に、砂漠に花が咲くことが歌われています。花が咲くのは、季節と大いに関係があります。

 ところが以下のイザヤ書の聖句を見ますと、季節を示す用語が出ていません。そうではなく、主の栄光と神の輝きが ―これは同じ出来事ですが― 荒れ野に、砂漠に花を咲かせるといわれます。


 これは何を象徴しているのでしょうか。恐らく、イスラエルのある地域では、季節によって、雨季になると一面砂漠に花が咲いたものと思われます。そのことをもって、神の世界、イエス・キリストがおいでになったとき、また、再びおいでになるとき、死滅している荒れ野に、砂漠に花が咲くように、人々が癒され、再生され、回復していく姿が描かれているのです。


 そのことは、二番目にあげました聖句、ヨハネ福音書11章25節の「わたしは復活であり、命であり、わたしを信じる者は死んでも生きる」に通じるものです。


 さらに、三番目の聖句、マラキ3章20節では、信ずる者に宿る復活の主、イエス・キリストの義の太陽が心に昇ることを示しています。


 義の太陽が昇り、復活によって新しい生命の徴である花が、わたしたちの心に咲くのを信じます。 


 イザヤ書35章 栄光の回復(旧約1116〜1117ページ)

   荒れ野よ、荒地よ、喜び踊れ
   砂漠よ、喜び、花を咲かせよ
   野ばらの花を一面に咲かせよ。
   花を咲かせ
   大いに喜んで、声をあげよ。
   砂漠はレバノンの栄光を与えられ
   カルメルとシャロンの輝きに飾られる。
   人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る
 
   弱った手を力を込め
   よろめく膝を強くせよ。
   心おののく人々に言え。
   「雄々しくあれ、恐れるな。
   見よ、あなたたちの神を。
   敵を打ち、悪に報いる神が来られる。
   神は来て、あなたたちを救われる。」

   そのとき、見えない人の眼が開き
   聞こえない人の耳が開く。
   そのとき
   歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
   口の利けなかった人が喜び歌う。
   荒れ野に水が湧きいで
   荒地に川が流れる
   熱した砂地は湖となり
   乾いた地は水の湧くところとなる。
   山犬がうずくまるところは
   葦やパピルスの茂るところとなる。
   そこに大路が敷かれる。
   その道は聖なる道と呼ばれ
   汚れた者がその道を通ることはない。
   主御自身がその民に先立って歩まれ

   愚かな者がそこに迷い入ることはない。
   そこに、獅子はおらず
   獣が上って来て襲いかかることもない。
   解き放たれた人々がそこを進み
   主に贖われた人々が帰って来る。
   とこしえの喜びを先頭に立てて
   喜び楽しみつつシオンに帰り着く。
   喜びと楽しみが彼らを迎え
   嘆きと悲しみが逃げ去る。
      (イザヤ書35章)



ヨハネによる福音書11章25節(新約189ページ)

エスは言われた。わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、
 死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれでも、決して死ぬことはない。
                        (ヨハネ福音書11:25,26)


マラキ書3章20節(旧約1501ページ)

しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには
 義の太陽が昇る。
 その翼にはいやす力がある。
 あなたたちは牛舎の子牛のように
 躍り出て跳び回る。(マラキ3:20)


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